Gudemaのりらのブログ

教育に関して思うこと

ブログその7

たくさん問題を解くだけでは改善していかないものの筆頭がケアレスミス。

言い方は様々でしょうが(おっちょこちょいミスとかうっかりミスとか計算ミスとか…)

こういっている時点で、残念ながら改善していくことはほぼ無いと思います。


こういった類いのミスは軽微なミスでは無いんです。

ちょっと大袈裟に言うと、重症なんです。

ケアレスミスなどの言葉で言ってしまうことで、「次やればきっと正解できる、だから大丈夫」って捉えちゃうもんなんです。

(私が今までにお会いしてきた、4000件以上の生徒様と保護者さまで、「ケアレスミスが無くなれば~」が口癖な方は例外なくです)

たかが計算ごときでミスするのは、残念ながらその計算が完璧では無いという証拠。

だって、九九…ミスします?しませんよね?完璧ならミスはしない。

完璧じゃないから

理解の度合いが100%でないから

その計算が出来ないから

ミスをするんです。


じゃあどうやってミスの克服をするのか?

それは、その計算ミスの根幹、ミスの原因を徹底的に掘り下げるんです。

なぜその間違った答えに辿り着いたのか?

所謂誤答分析というやつです。


私は比較的これが得意で、「この部分の計算をミスしたからこの答えになっちゃったんだよね?」と

即座に伝えてあげると生徒様驚いていただけます。(ありがとうございます笑)

よくあるのが…(先ほどと矛盾しますが…)

⚫九九で一部の計算のみ勘違いしているパターン

(一般論として日本人は3、4、7の段が苦手です。なぜなら「さしすせそ」の発音が基本苦手な民族なので、4×7とか言いづらくないですか?

言いづらい=覚えづらい、だからミスしやすくなる)

⚫加法、減法のくりあがり、くりさがりが苦手。


もしミスが多発するが、どこがミス箇所かがわからないというのであれば

小4くらいの計算ドリルを(もっと学年を下げてもいいです)やらせてみてください。

桁の多い加法、減法

大きな数で割るときの除法など、きっとミスする箇所があるはずです。

そして、ちょっと多目にといてもらう。(下の学年の問題だからそんなに苦労はしないはず)

そしてミスを抽出していくと、そのミスに一定の法則があることに気がつくことが多いです。

(なぜか「3+~」になると確実にミスするとか、特定の数字の組み合わせで誤って計算を覚えてしまっているなど)


そしてそのミスに気がついて把握して理解してから、徹底的に練習する。

ミス状態で練習したって効果はない。

だからやみくもに演習、演習って言うのは実は怖いんです。



究極、計算力って加法、減法、乗法、除法をどこまで究極にはやいかだと思っています。

はやくするには、ミスをしないこと。

ミスをしないためには


最終的には途中計算式をなるべく書かないようにすること。

長くなってきたので、今後は次回にでも。

ブログその6

随分と寒くなって来ました。もうタイヤを交換する時期ですね。

さて、私は在籍する塾名を明かしておりません。

今後も明かすつもりはないのですが…。今回はこの件について。


ネット上にはたくさんの塾ブログや塾に対するブログがあって

その意見1つ1つにどうこう言うつもりは全くないです。(イラっと来るものも確かにあるし、明らかにミスリードになってるなと思うものにはコメントを残しますが…。文章が下手なのか、真意は伝わらないですね…)


ただ、各ブログには方向性というのかな、指向性とでも言うのでしょうか、ベクトルと言うか一定のバイアスがかかっていて

例えば、「あの塾を評判を下げてやろう」とか「自分の塾の宣伝をしよう」とか「塾業界に対するアンチテーゼ」とか「自らの教育論を語りたい」など

ブログは個人のものであり、法に触れない限りは問題ないのです。多分。

でもね、ブログの主(ん?主宰?ブロガー?何て言うんでしょうかね、そのブログの主みたいな人のことを)と読者やコメントをされる方は平等であるべきだと思うんです。


私の一言が自分の所属している塾を貶めるようなことは言うつもりはないです。

でも、1サラリーマンとして、自分の所属している塾の方向が如何なものかと思うときも少なくはない。

それをここに残す瞬間もきっとあるだろうし(遠い未来のことでしょうが…)、可能であるならそれが客観的に見て正しいのかどうかも世に伺ってみたい。

また、自塾名を名乗ることにより、同僚に迷惑をかけるわけにはいかない。

申し訳ないのですが「塾を貶めよう」とか「塾の存在意義をなくしてやろう」という目的であろうブログ少なくないです。

ブログを発している方はどういうところに所属しているか?を一切表明せずに、コメントを残す塾講師には自塾名を名乗れなんて

一体何のつもりかな?とかな~り憤慨しているわけです。(そんなブログに出会ってしまって…)


私のブログにだって方向性はありますが

何かをとか誰かをといった個人を中傷するものではないです。

もちろん一般論としてこんな部分に問題点があるということを提示させてもらうことはあります。

私自身もそうですが

自分のことって案外見えていないもの。また、その地域の常識的なものって結構跋扈していて

本当にその常識的なものって正しいの?って疑うこと大切だとも思う訳です。


ちょっといつもと違う内容でしたが、今日はここまで。

ブログその5

今日は仕事でした。

さて、演習する時間の問題。

確かに今の中学生って時間無さすぎ。

最大の要因は間違いなくブラック部活。

だからといって部活を辞めれとはなかなか言いたくない。

(極めて一部ですが、学校の先生方のなかには我々塾を心底嫌いな方もいるようですが…あくまで一部ですよ)

うちの塾は地域の学校ともいろいろ協力して保護者会や出張授業もたまに行っています。


何が言いたいのかというと

部活も100%、勉強も100%っていう所謂文武両道。

これってそんなに簡単にできるの?ってことです。


校訓とかにありがちな文武両道ですが、そんなに容易く達成可能なら校訓になんてしないですよね。

達成することが困難だからこそ校訓になるんだからそれをいとも簡単に子供に求めていいのかって思います。


確かに部活も一流で勉強もできる子っていますが本当にごく一部の子。

それを全員に求めるってどうなのって思うのですが?



また、勉強って…何とかなるって思っていません?

芸術やスポーツなら「才能の差が…」ってあっさり思うこと多いと思うのですが

勉強については「やればできる❗」


確かにスポーツや芸術等は才能の差が出やすくもあり、狭き門でもあるので諦めがつきやすいのですが

勉強については、誰であってもやればできるんだから頑張りなさい。確かに一定のレベルまではたどり着くけど…

私ね、勉強だって得手不得手あると思うんですよね。勉強だって才能の差がきっとある。

それを越えたところを求めるのはどうなのって思う。

勉強ってやればできるんだからっていう言葉が負担になっている生徒が居ないわけではない。

頑張ることは大切だし、そこで仮に失敗しても(もちろん成功しても)得られるものは多大なものではありますが。

勉強だけ何か特別視しているような気がする。

全員が全員勉強第一ではないとも思う。

勉強に全力を尽くして、仮に向いていないと認識したのなら別の道に行ったって良いですよね。

諦めるってマイナスなイメージが強い言葉ですが

明らめる「あきらめる」と私は思う。悪いことじゃないですよねきっと。




昔調べたものなので記憶が定かじゃあ無いんですけど

芸術家とかスポーツ選手で成功するのは0.1%にも満たなかったはず。

東大理科三類のH31年度前期倍率は4.18倍なので24%弱。極端な例ですけどこんな例で勉強に向かわせることも出来るでしょうが

本人の気持ちや能力も考えて…ですよね。